ローズが地球上に現れたのは、5000万年以上前といわれます。この頃の地層からは多くのバラの化石が発見されています。
野バラが原種だと考えられていますが、もともと野生のバラはヒマラヤやカラコルムの海抜2000~4000mで当時はやや暖かい高地で生まれ、そこから東西に、中国やインド、ペルシャなどへと広がっていったと言われています。
古代ギリシャ時代の貴族はローズの香りを楽しみ、花冠や薬用としても利用していたと言われています。愛の詩をたくさん残したことで有名な古代ギリシャの女性詩人サッフォーは、ローズを「花々の女王」、ローズの香りを「恋の吐息」と詠っています。古代ギリシャ時代も現代と同じように、ローズを特別に感じていたのが伺えます。
世界三大美女として有名なクレオパトラは、絶世の美女だっただけではなく、ローズ好きだったことも有名です。紀元前48年、クレオパトラはローマの英雄ユリウス・カエサルにエジプトの統治をゆだねられました。彼女はその美貌に加え、ローズの香りで誘惑して古代エジプト女王の座を手にしたといわれています。とても高価で、権力の象徴でもあったローズオイルをたっぷり肌に塗ったり、花びらを枕にしたりしてローズの香りをまとっていたようです。さらに、ローマ帝国のマルクス・アントニウスを迎える時は、膝の高さまで寝室にローズの花びらを敷き詰めたという伝説も残っています。クレオパトラが世界の三大美女と呼ばれる秘密は、彼女の美貌や知性だけでなく、ローズの香りを味方につけて男性を魅了してきたからだとも言われています。
ローマ帝国最初の皇帝アウグスティヌスの治世はローマ時代の黄金期を迎え、貴族や裕福な市民の間でローズウォーター・ローズオイルが大流行。皇帝アウグスティヌスは恋人を「私のバラ」と呼び、バラを贈り、日常の暮らしを潤していました。
強大となったローマ帝国の第5代皇帝で、暴君として有名なネロのバラ三昧は有名です。彼のバラへの執着はすごいものでした。宴会場をバラの花で埋め尽くしたり、天井からバラの花びらを土砂降りの雨のように降らせたりしたそうです。その重みで来客が窒息したという話まで残されています。また、ぶどう酒にバラの香りをつけて、贅沢に振るまったという話もあります。 入浴の際、湯の中にたくさんのバラ水をいれ、湯上りにはローズオイルを体に塗らせたとまでいわれています。
キリスト教は313年にローマ帝国から公認されるまで迫害を受けていました。そのためキリスト教社会では、ローズを「ローマ人の贅沢な暮らしの象徴」として否定し、一般には栽培が禁止されていました。殺菌作用があるということでローズウォーターを消毒液として利用するために、教会や修道院の庭で薬用植物としてひっそり栽培される影の存在となっていました。しかし時を経て、赤バラはキリストの血の象徴、白バラは聖母マリアの純潔の象徴と変わっています。
白バラはマホメット、赤バラは絶対神アッラーの象徴で、イスラム教にとってもバラは神聖な花。清め用のバラ水を作るため、聖地メッカには大栽培地が誕生。料理や薬にも使われました。イスラム教世界が拡大するにつれてバラの交雑が進んでいきます。
十字軍の遠征(11~13世紀ごろ)で西アジアのバラがヨーロッパに伝わったといわれています。十字軍がさまざまなバラを自国に持ち帰ったことで、バラは急速にヨーロッパ諸国へ広がっていきました。ロサ・ダマスセナ、ロサ・ガリカ、センチフォリアなどはこの時代にヨーロッパに持ち込まれたものです。
1455年、イギリスでヨーク家とランカスター家の間で王位継承をめぐって争いが勃発しました。その争いは「バラ戦争」と呼ばれています。ヨーク家が白いバラ「アルバローズ」をシンボルに、ランカスター家は赤いバラ「ガリカローズ」をシンボルにして戦ったため、この名がつけられたといわれています。ヨーク家の王ヘンリー7世とランカスター家のエリザベスが結婚し、バラ戦争は終結しました。その後、ヨーク家の白い紋章と、ランカスター家の赤い紋章を組み合わせた新たな紋章「チューダーローズ」が誕生しました。それは現在、イギリス王家の紋章として使われています。
フランスの国王ルイ14世は大の香り好きとして有名です。毎日ベルサイユ宮殿全体に高価なローズ水を吹きかけたと言われています。 ルイ16世の王妃マリーアントワネットもバラと香水に浸る毎日を送っていたようです。ローズとスミレの香りを「自分の香り」と決め、贅沢に香りを楽しんでいました。その贅沢な暮らしぶりが民衆の反感をかい、フランス革命へと向かいます。
ローズの栽培が飛躍的に発展し、栽培技術の基礎が築かれたのは19世紀でした。そこに大きく貢献したのはナポレオンの妃であるジョセフィーヌです。皇妃ジョセフィーヌは夫のナポレオンが海外遠征をするたびにバラを持ち帰らせたり、世界各地に植物学者や冒険家を派遣したりして250種の珍しいローズを集めました。そしてマルメゾン宮殿にバラ園を造り、世界各地から集めたローズを栽培していたそうです。このバラ園は726ヘクタールもあり、長さ50メートルにもなるガラス張りの温室もあったといわれています。
ジョセフィーヌはアンドレ・デュポンという専門の園芸家を雇ってバラの交配もはじめます。ここでバラの人工交配が初めて成功し、数々の品種が誕生しました。フランスに25種類しかなかったローズがジョセフィーヌの活躍で4000種に増えたと言われています。このことからジョセフィーヌは「バラのパトロン」と呼ばれています。また、ジョセフィーヌの死後もマルメゾン宮殿ではローズの交配が進められ新たな品種がどんどん生まれました。
フランス人ギヨーによって、四季咲き性の強いバラと、大輪で多花性のバラの交配が成功しました。これによって四季咲き性のハイブリットティー品種「ラ・フランス」が誕生します。これ以降、春だけ開花するバラに代わって、春から秋まで繰り返して咲く大輪のハイブリットティーがバラの世界を席巻していきます。この「ラ・フランス」以前に生まれたバラをオールドローズ、以降をモダンローズと呼んでいます。1867年にフランスで開催された新種バラ品評会で優勝し、フランスを代表するバラとして「ラ・フランス」の名が付けられました。
1945年にフランスで生まれ、アメリカで発表されました。第二次世界大戦後、平和への願いを込めて「ピース」という名が付けられました。
フランスがドイツ軍に占領される直前、このバラはフランスからアメリカ領事に手渡され、アメリカに渡ったとされています。このバラはアメリカで発表され、国際連合の設立総会ほか歴史的なシーンを彩りました。そして1976年、世界バラ学会連合が選出する最初の殿堂入りバラに認定され、その後も数々のコンクールで最高賞を受賞しました。
バラといえば赤か白という時代は過ぎ去り、バステルカラーや茶系のバラなど色も豊富に。形もコロンと丸いものや花びらがフリル状のものなどさまざまな種類や品種が出回るようになります。
出典:株式会社KADOKAWA 著 「バラ時間 by花時間」ファミマ・ドットコム
蓬田バラの香り研究所 ( http://www.baraken.jp/index.html )