LOVE you
恋愛小説:「"それ"を見た瞬間。 恋に落ちた音がした。」
心臓の鼓動で指先が震える。
キーンと耳鳴りがして周りの音が消える。
手に取ったその景色がうっすらとぼんやり滲んでいく。
間違いなく、その時私は恋をした。
「で、その時に買った本がこちら」
「うっそ、その一ページの写真のためだけに五千円もする写真集買ったの!?また!?」
「そうだよ?」
けろっとした表情で何事もなかったようにクリームソーダを啜る目の前の友人にあきれて物も言えなかった。
私の高校時代からの友人は普段はあまり物事に執着する人間ではないけれど、時折何かに異常なほどの執着を見せる。周りが止めても聞かなくて、とんでもなく高額な、よくわからない工芸品に手を伸ばしたりする。一括で払えるわけもなく、返済で悲鳴を上げているのを見たことがあるのは一回や二回ではない。まだ両手で数えられる回数であるのは確かだけれど。
それでも最近は減ってきたと思っていたのに、ちょっと目を離した瞬間コレなので、やはりこの子が買い物に行くときは誰かが付き添った方がいいのかもと真剣に悩み始めた。
「もうすぐ就職して社会人になるんだからさ、もうちょっとちゃんとしなよ」
「大丈夫だよ、ローンは組むけど借金はしたことないし」
そうではない。いや、ローンも借金の一種ではあるのだけど。今までしたかどうかではなく、今からしそうだと警告しているというのに呑気すぎるのだ。お互いに内定が決まり、大学を卒業したわずかなモラトリアム期間にこうして優雅にお茶会を開催したというのに、どうしてこんなにも不安になることばかり言うのだろう。
「そうじゃなくて、アンタはすぐに衝動的にものを買うでしょ?金に糸目もつけないで。これから社会人になって、もっと手元にお金が残ると絶対今以上にお金使うじゃない。今のうちに自制しないでどうするのよ。それに私たち、給料の支給日が翌月じゃなくて翌々月よ?生活費どうするのよ。多少なら私からも出せるけどアンタの衝動買いに使われるなら嫌よ」
「私のところは五月頭には出るのよ。それにちゃんと貯金もしてるから大丈夫」
そういいながらうっとりとその本を眺めている。熱に溶けた飴玉のような瞳が一層熱を帯びていく。口元が緩んでいて、みているこっちまで変な気分になりそうだった。
「......申し訳ないけど、私にはアンタの情熱の半分も分からないわ。なんでそんなに衝動的なの?そろそろ"大人"になりなよ」
「本当にトモちゃんはお母さんみたいだね。私はトモちゃんの娘ではないよ」
「わかってるわよ、そんなこと」
「Wait... でもね、トモちゃん。我慢ってよくないと思うよ」
私の友人はするりと目を横にずらして私を見る。いや、観ている。たまにこういうことがある。どうも遠い目をしているようで、近くで見透かされているような。大人ぶっているというわけでもない、偉ぶっているというわけではない。でも、こういう目をしているときの友人の言葉ほど私の一番軟らかい部分に刺さっていく。
「極論かもしれないけれど、明日死んでしまうかもしれないのに今日食べたいもの、やりたいことを我慢する必要ってどこにあるの?それに、我慢して、我慢して、我慢して。いつまで我慢するの?結婚するまで?貯金が一千万円貯まったら?六十五歳になって会社を退職したら?自分の本当にやりたかったこと、好きなものに蓋して、いつかそれも分からなくなっちゃってゾンビみたいに毎日毎日目的もなくあてもなく生きていくなんて私はまっぴらよ」
クリームソーダをガシャガシャとかき回してきれいに分かれていたメロンソーダとアイスが複雑に混ざり合っていく。私も居心地が悪くて若干ぬるくなってきていた自分のカフェオレに口をつける。
「その今飲んでるカフェオレだって。昔は大人の飲み物~ってしっぶい顔して飲んでたのに、あっという間に普通な顔して飲んでるじゃん。それって本当に好きなの?苦みに慣れて大人になったフリしてるんじゃなくて?それって本当に好きって確証、持てるの?」
突然手に持っていたカフェオレが重みを増した気がする。確かに昔......といっても数年前まではコーヒーどころかカフェオレですら苦くてあまり飲みたいとは思わなかった。でも段々と、社会という場所に出る時が差し迫ってくるにつれて一気に"大人"であることを意識して"理想の大人"を目指していた気がする。自覚するとどんどんと嫌な汗が背中を伝う。
きっとここから先は聞いていて気持ちのいい話ではない。でも聞いていないとどこかで後悔する気がしていた。
「別に"大人"って我慢したらなれるものでもないよ。なりたくてなるものでもない。必要に迫られて、時間が来て勝手に周囲が大人であることを認めるだけだよ。子供は大人にはなれないけれど、大人はいつでも子供になれる。いや、大人という子供かもね。だからその子供であった部分を否定したり見なかったことにしたりするのは気持ちに蓋をするのと変わらないんじゃない?昔好きだったもの、覚えてる?子供のころからやりたかったこと、覚えてる?」
正直、話がずれてきている感じは否めないけど、確かに昔どうしてもやりたかったことがあったはずなのに、すべてがぼんやりしてあまり思い出せない。でも、ひとつだけ、鮮明に思い出せることがある。
「......昔、どうしても家でアイスが作れる玩具みたいな機械が欲しかったの。五千円くらいの。でも買ってもらえなくて。とても泣いた記憶があるわ。でも、それでも弟ができてお姉ちゃんにならなきゃって。結局誕生日にすらほしいものをお願いするのが申し訳ない気持ちだった気がするわ」
「そっか。トモちゃんはアイスクリームが好きで作りたい子供だったんだね。でもそういうの、覚えてるってことは、きっとまだ思い出せるんじゃない?自分が好きだったもの、好きだったことを」
そういうと、友人はウンウンと頷いて、ズズズーと汚い音を出して汗をかいていたクリームソーダを飲み切った。近くの席でパソコンをいじっていたサラリーマン風の男性が少し咎めるようにこちらを見た気がする。
「こうやって、周りの人を不快にさせるようなことじゃなければ我慢する必要ってどこにもないと思うの。そりゃ、見るだけで嫌なこともあるかもだけど、それなら見なきゃいいだけの話。例えば、カラオケのソフトドリンクでジュース混ぜちゃうとか、バイキングで好きなものだけとっちゃうとか。別に子供っぽいからって我慢するのってやせ我慢に近いんじゃない?やりたいことを、見栄を張りたくて我慢しちゃうなんて。」
「だから、私は好きなものを我慢して大人になんてなりたくないの。誰に迷惑をかけているわけでもない、何なら少しなら許容してくれだってする。持ちつ持たれつ、同じ"好き"のために助け合えたりする。それでいいんじゃないのかな?何かに心打たれて涙を流すこと、それを持ち帰って愛でるのが"大人ではないから我慢しなくちゃいけない"なら、私は大人じゃなくて子供でいい」
それにね、と言葉を続ける。
私は彼女の言葉から耳が離せない。しぐさの一つ一つが焼き付いているように見える。
「その一瞬、恋に落ちる一瞬って、どれだけ子供みたいでも逃しちゃいけないの。燃えるような気持ちはその一瞬だけなの。それにしかもう心が向かないの。絶対に逃したくなくて、私の目の届くところにいて、ずっと見ていたいの。恋って、身勝手で、献身的で、衝動的で、退廃的で、とっても情熱的なんだよ」
恋って、そういうものなのかな。
私って恋したことあったかな?目が離せないとか、これのために走り出せるとか、そんなの、あったかな。絵や美術品を見てもふうん、そうなんだ、としか思わない。ドラマを見ても、予想外の展開に心躍ることはあっても次回の放送を切望するほどではない。
情熱、とはかなりほど遠いところにいる気がする。だからアレコレいいたくなってしまうのだろうか。この自由な風のように気ままで、時に追い風を吹いてくれる彼女に。
「トモちゃんは私を見てくれてて、とても優しい。そこまで高価なものじゃなければ、好きそうなもの買ってきてくれたりするじゃない。だから私はトモちゃんが好きよ」
なんの恥ずかしげもなく、好きだという。なんだかその真っ直ぐな視線が痛く眩しくて手元の飲み切ったグラスに目線を落とす。
「だから、もしトモちゃんが何かが好きになったんだとしたら、私にもそれがどんな風に好きなのか話してほしいの。私に見せてほしいの。どんなに"大人"からほど遠くても私が今日したみたいに。だって、"好き"っていう感情そのものは、とても眩しくて綺麗なんだよ。」
だからなのだろうか。このかわいい友人が私に小言を言われるとわかっていてもうれしそうな顔をしながら買ったものを見せに来るのは。もしかして、彼女は私と好きなものを共有したくていつも誘ってくれていたのかな。なら、少し申し訳ない気持ちになってしまう。今まで何度もこういう場があったのに、私から何かを伝えたことがほとんどないから。
彼女と喫茶店を出てから、なんだか肩の荷が下りたように体が軽く感じる。きっと知らない間に"憧れの大人"が"ならなければならない姿"に変わっていたように思う。差し迫るような危機感はどこへ行ったのか、晴れやかな気持ちになっていた。これからあの友人へ何を話そうか。私が今夢中になって好きなもの......。そんなものこれから見つかるかな......。まあ、今は。
あの友人が次に何を見せてくれるのかが楽しみになってきたかもしれない。そういうことなら、今好きなものはあの子、ということになるのかな?
いつか、あの子の情熱に勝てるほどの"好き"と出会えるだろうか。もしかしたらもうすでに出会っているかもしれないけれど。
いつかは明日訪れるかもしれないけれど。私の"好き"に気が付く日を楽しみに。
夕焼けが落ちるまで、公園の椅子に座って見入っていた。
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